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2010月1月に設立されたスンダランド・アート・ネットはアートによるアジアの国々での国際交流をめざしています。

KURIが2010年12月のフィリピン体験の報告会を行います


2010年12月のスンダランド・アートネット企画のフィリピンでの環境と慰霊のためのイベントに参加したKURIの二人が、地元・山梨で報告会を開催します。パヤタスのゴミの山に暮らす人々とのためのクリスマスパーティでのコンサートから、世界遺産の棚田での慰霊パフォーマンスでの即興演奏まで、多彩な体験をアーティストならではの感性で語ってくれます。直前に訪問した韓国での旅も含め、型破りのアジアとのアートを通した交流体験。お聞き逃しのないように!


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「KURI アジアの兄弟を訪ねて」~韓国、フィリピン編~スライドショー

日時:2011年3月3日(木)夜7時半~

場所:山梨県北杜市明野 カフェくじらぐも

    0551-25-4063


企画:オトタネプロジェクト

2010年に訪れた韓国とフィリピンでの音楽やアートでの交流を通して出会った人々や環境、子供達、、それぞれの暮らしなどを語ります。

アート・インスタレーション&パフォーマンス◆森のささやき~精霊の舞

 2010年12月のイフガオ州フンドアンでのイベントでは、環境演劇の上演と環境教育アートワークショップと抱き合わせで、第二次大戦で犠牲となった日比の人々に対する慰霊と鎮魂、そして平和への祈りをテーマとしたアート・インスタレーション&パフォーマンスを開催(スンダランド・アートネット主催/国際交流基金/あいちモリコロ基金助成)。
 イフガオ州は、第二次世界大戦で日本軍が撤退し、最後に山下奉文(ともゆき)大将が捕らえられた地。大戦末期の飢餓状態、武器も弾薬もなかった日本軍兵士の多くが命を落とした地であるとともに、極限状態の中でイフガオ族のコミュニティでの略奪・殺戮などの残虐な行為もあったと記録されている。
 戦後も日本の遺族が慰霊に訪れ、遺骨収集は現在でも行われている。この遺骨収集に関しては昨年大きな問題が明らかになり、フィリピン国内や日本でも報道されたのが記憶に新しい。スンダランド・アート・ネットのメンバーである私(反町眞理子)も、在比日本人として、日比両国の第二次大戦の傷跡を癒す手伝いになればと、縁があれば在比の知識や人脈を利用し、遺族や元兵士の方の慰霊の旅のアテンドをしてきた。今回の遺骨収集をめぐる問題は、遺骨収集作業の基本にあるべき亡くなった方に対する慰霊の気持ちがないがしろにされた悲しい出来事だと思える。遺族の方や元兵士の方の中にも、抑えきれない怒りを表している方がいらっしゃるが、何よりも迷惑なのは、意図せずして暮らしの場を戦場とされ、今また勝手な日本人の遺骨収集問題に巻き添えになっているイフガオの人々、そして、この地で無念の中で亡くなった日本兵の精霊たちではないだろうか。   65年もの月日が経ち、ようやく少しずつ癒えてきた傷を再びえぐられるようなこの出来事。日本と違い戦争の記憶がいまだ生々しいこの地で暮らしながら、日比の新しい関係のために出来ることはないかと、環境や平和のためにさまざまな活動をしてきた私には、残念でならなかった。


 このたびの「アート・インスタレーション&パフォーマンス・プロジェクト」は、日本人、フィリピン人を問わず、戦争の犠牲となったすべての人のための鎮魂と慰霊、そして日比間、さらに世界の平和のための思いを、言葉ではなく、国境を越えて共有できるアートを通して表現したいという気持ちからだった。
 2007年にバギオ市とベンゲット州キブガンで行った環境アート・プロジェクト「Where have all the monkeys gone?」にも参加した造形美術家・廣田緑(スンダランド・アート・ネット代表)は、太平洋戦争の記憶をテーマとしたアート・プロジェクトを長年暮らしたインドネシアの他、フィリピンや日本で行っている。アジアと日本で多くの第二次世界大戦の記憶と出会い、アート作品としてきた彼女は今回の企画の意味と意図を深く理解し、「スンダランド・アートネット」の事業一部として今回の参加が決まった。

 またスンダランドのメンバーである大阪のAmanTO天然芸術研究所のJun Amanto氏も参加を決めた。
 2009年1月のコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)主催のエコサミットへのゲスト参加と9月のバギオ市制100周年にバギオで催された「日比平和演劇祭」の「亡霊の彷徨う町」で日本兵の亡霊役を演じて以来、たびたびフィリピンでワークショップや公演を行っている。彼の呼びかけでシタール奏者の南沢靖浩氏、尺八の福本卓道氏、サックスと笛の山本公成氏も参加。 同じくスンダランドのメンバー、山梨の音楽ユニット「KURI」もモリコロ基金助成を受け、参加となった。



 棚田の真ん中にあるイフガオ族の宿泊先、伝統家屋のあるロッジでの缶詰合宿のような3日間。初めて顔を合わせた人も多かった超個性的な日本からの参加者だったが、いつの間にか心はひとつになっていた。本番の棚田でのステージでは、息のあった素晴らしい演奏とパフォーマンスをこの地の霊に捧げることができた。
 感性のするどい参加アーティストの方たちは、3日間という短い滞在でも「この地では戦争は終わっていない」ことを、実感して下さっただろう。大戦によって汚されてしまった大地の記憶は、65年たったいまもまだ癒されきってはいない。戦争が人の心や自然や大地に遺す傷はとてつもなく深く、どんなに長い年月を経ても癒されることはないのかもしれない。イフガオの人々にとって、あの戦争は日本とアメリカの戦争であるのに、先住民族が深く愛してきた土地を戦場として使われ、その恨みは無意識のうちに引き継がれ、世代を超えても消えはしないものなのだろう。
 我々が企画した慰霊と平和のためのアート・プロジェクトは、ほんのほんの小さな償いの行いであり、これに参加したイフガオの人々の心や土地に大きな変化が起こるなどと大きなことは思っていない。内容を理解していない人がほとんどであろう。しかし美しい棚田と自然の中で暮らしてきた人々には、あの灯されたキャンドルの静かな美しさと、そのほのかな灯りで照らされた作品に込められた祈り、ミュージシャンの即興演奏に伴われた舞い、そして平和の願いが、きっと心の深いところに届いたと信じている。
 連日の雨続きで天候の心配をしていたのだが、開催日12月18日はわずかな雨も降らず、パフォーマンスの間、雲の合間から満月がのぞいたこと、突然の停電によって生の音楽がマイクを通さず静かに深く大地にしみこんでいく時間を得たことで、神には歓迎されたイベントだったのではないかとひそかに思っている。
 今、昨年のイベントを振り返り、参加の方たちに対する深い感謝とともに 癒されきれない大地のために 「だから二度と戦争をしてはいけない。二度と過ちを繰り返してはいけない」 という想いを新たにしている。
(スンダランド・アート・ネット副代表:反町眞理子/フィリピン在住)

イフガオ州フンドアンでの環境教育プログラム◆環境アートワークショップ


 2010年12月、キープ協会の「フィリピン北部山岳地域における青少年育成のための環境教育推進事業」(独立行政法人 環境保全機構 地球環境基金助成)の一環として、環境演劇公演と環境教育アートワークショップを、イフガオ州の世界遺産の棚田の村、ハパオ村とバアン村で開催した(協力:スンダランド・アートネット/AmanTO天然芸術研究所)。

 イフガオ州のバナウエ、キアガン、マヨヤオ、フンドアンの4つの郡は、ユネスコにより世界文化遺産に指定されている。しかし森林破壊や棚田での働き手の不足から、耕作を放棄された棚田が増え、2001年には世界危機遺産に指定されてしまう。イフガオ州の棚田の保全には過去、日本(ユネスコ)が棚田と伝統文化保全のための活動をサポートしてきた他、JICA-NGOの技術協力プロジェクトで森林保全やライブリフッド事業などが行われてきた。
 コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)も、「東芝150万本の森作り」のサポートを受け、2007~2009年にマヨヤオ郡バランバン村とフンドアン郡ハパオ村で、アグロフォレストリーと植林事業を行っている。

 世界遺産にもなった棚田の崩壊原因のひとつが森林破壊だ。
 イフガオ民族は生まれながら芸術センスを持ち合わせているといわれ、伝統木彫りの技術は他に類を見ない。それゆえ、海外からの大型の木彫り像の注文などなどがあとを絶たず、古来の暮らしでは生活用品にのみ使っていた木彫りが、輸出用の置物や家具、棚田観光のお土産品などとして大量に作られるようになった。それに伴い材料の木材が、イフガオ州の森林から次々と切り出され、森林は見るも無残な状況となっている。  もともと、イフガオ族は「世界8不思議」の一つに数えられる、急峻な山肌に作られた膨大な数の棚田に水をいきわたらせるために、棚田の上のほうにある森林には手を入れず、水源地として先祖代々たいせつに守ってきた(そういった森林保全の伝統の方法は「ムヨン」または「ピヌグ」と呼ばれる)。近年ではその風習さえも失われつつあり、昨年のエル・ニーニョによる水不足では、たくさんの棚田の水が枯れ、稲が育たないというかつてない事態まで発生した。



 そのような背景をふまえ、フンドアン郡ハパオ村での環境教育ワークショップのテーマは「稲わら」とした。
 世界遺産の棚田で収穫さる稲わらで紙を漉き、ランタンやポストカードを製作する指導です。安価な土産物を作るため何百年もかけて育った木を切るかわりに、今まで不要とされていた自然素材から新しい工芸品の可能性を紹介しようというもの。ワークショップ参加者は、ハパオ村とその隣バアン村の小学生たち。手漉き紙作りの講師はベンゲット州カパンガン郡ポキン村在住の日本人紙漉き職人・志村朝夫氏。「ウドン」と呼ばれる稲わらの穂に近い部分が手漉き紙の材料としてたいへん優秀であると志村氏は以前から試作を続け、ホワとよばれる潅木の樹皮との混合や、コンニャクによる加工で強度や防水性を増す方法を生み出した。
 子供たちが漉いた紙は乾燥させて、水田に浮かべるランタンとクリスマス・カードの素材に使用された。ランタン作りと凧作りの指導には大阪のAmanTo 天然芸術研究所から参加の西尾純氏。





 最後には参加の子供たちみんなで、いつか村と森に鳥やワシが戻ってくる日を夢見て凧揚げ。
 元気に凧を上げて飛び回る子供たちの明るい声が、棚田に響き渡る素晴らしい時間となった。